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桃源院について

​曹洞宗の教え

曹洞宗はお釈迦さまより歴代の祖師方によって相続されてきた正伝の仏法です。 お釈迦さま(釈迦牟尼佛)を本尊とし、南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)とお呼びします。 曹洞宗はいまから800年ほど前の鎌倉時代に高祖道元禅師さまが正伝の仏法として中国から日本に伝えられました。その後、4代目の太祖瑩山禅師さまが全国に広められ礎を築かれました。 お二方を両祖としてお釈迦さまとともに「一仏両祖」とお呼びします。 曹洞宗の大本山は、福井県にある永平寺と、神奈川県横浜市にある總持寺です。 大本山の住職の正式な呼び方は貫首(かんしゅ)といい、禅師さまとお呼びします。

曹洞宗は、坐禅の教えを依りどころにし、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。 そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。

『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう) 道元禅師が1231(寛喜<かんぎ>3)年8月より1253(建長5)年1月にいたる23年間にわたって説示されたもの。 『伝光録』(でんこうろく) 瑩山禅師が1300(正安<しょうあん>2)年の1月から、加賀の大乗寺で、その師義介禅師に代わり、修行僧たちに説き示した説法を、のちになって側近の僧がまとめたもの。 『修証義』(しゅしょうぎ) おもに道元禅師の著わされた『正法眼蔵』から、その文言を抜き出して編集されたものです。明冶の中ごろ、各宗派では時代に適応した宗旨の宣揚をしようとする気運が高まっていました。曹洞宗では曹洞扶宗会(そうとうふしゅうかい)が結成され、多くの僧侶や信者の人々がそれに参加しました。そのメンバーであった大内青巒(おおうちせいらん)居士(1845~1918)を中心として『洞上在家修証義』(とうじょうざいけしゅしょうぎ)が刊行されました。これは在家教化のためのすぐれた内容となっていたため、曹洞宗では、ときの大本山永平寺貫首滝谷琢宗(たきやたくしゅう)禅師と大本山總持寺貫首畔上楳仙(あぜがみばいせん)禅師に内容の検討を依頼し、1890(明治23)年12月1日、その名を『曹洞教会修証義』とあらためて公布したのです。その後、『修証義』と改名されて今日にいたっています。

創建と歴史

桃源院本堂
桃源院藤棚
桃源院は第三代岩尾城主岩尾の大井行真公によって、祖父である行俊公の三十三回忌、父である行満公の十三回忌の追善冥福のため、天文6(1537)年に「高井山桃源院」として創建されました。
このときこのときのご本尊は延命地蔵尊としていました。初代住職は大井行真公の弟の松岩長伊大和尚です。「高井山」の名は、父である大井行満公の院号「高井」から、「桃源院」の名は、祖父である大井行俊公の法名「桃源」からきています。
武陵山桃源院の名は中国の『桃花源記』にある武陵桃源の故事、晋の時代、湖南武陵の漁師が道に迷って桃林の奥にたどり着き、そこは戦乱をさけた人々が平和に暮らす仙境で、帰るのも忘れる程の桃源郷であったという話に依ります。今も中国には武陵桃源という場所があります。
桃源院6.jpg

​桃源院のあゆみ

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